テキスト ボックス: バティックになった赤ずきんちゃん
 Q.カイン・カンパニーってなんですか?

 

写真@−Kは、ジャカルタから汽車で3時間、ジャワ島北岸の中心都市チレボンで作られた絵画的バティック。花束模様の華麗なバティックと合わせ、北岸様式のバティックといわれている。

このうち@−D、Hは、モチーフに蒸気船、飛行機、軍隊などを採用した西欧の影響が強いもので、一般に「カイン・カンパニー」(カイン・コンプニ KainKompeni)と呼ばれている。いま作られているのはコピー。1890年代からプカロンガンのオランダ系工房を中心に作られていたが、1941年のオランダ統治の終了とともに工房も閉鎖、以来作られることのなかったバティックを、アンティークやバティック本などを参考にして、15年ほど前からチレボンの工房でよみがえらせている。

 

そもそものはじまり

カイン・カンパニーとされるバティックがはじめて作られたのは、1840年代。インドネシア−オランダ混血の女性フォン・フランクモン(Von Franquemont)が、オランダで出版された童話の挿絵をもとに、赤ずきんちゃんや白雪姫をサロンに描いたのが最初とされる。こうした童話モチーフのバティック(Batikfairy tale)は、その後たくさん作られ、カイン・カンパニーの主流を形成することになる。もっとも、後で説明するように、この時代にはまだカイン・カンパニーという概念はなかったと思われるが。

やや遅れて、やはり混血女性ファン・オーステロム(C. C. Van Oosterom)が参入、キューピッド、エンジェル、オペラ劇場などをモチーフとしたバティックを作った。

この二人がヨーロッパ系工房の、そしてカイン・カンパニーの草分け的存在。その後カイン・カンパニーの製作には、フランクモンやオーステロムのデザインをパクったヨーロッパ系女性、さらにはジャワ系の工房や中国系の工房が次々と参入し、1890年頃から大流行することとなる。

 

童話、そして戦争

モチーフに注目すると、19世紀末から20世紀初頭はフランクモンやオーステロム以来の童話系「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」、そしてエンジェル、キューピッド、ペガサスなどが、さらに20世紀前半には、近代化・西欧化の波の中で、西欧の文物が数多く描かれるようになる。蒸気船、汽車、1934年にバタビアに飛来した飛行機などとともに、動物園、劇場、万国博、トランプなども採用されている。

ヨーロッパ系工房の作がオリジンとはいえ、1920年代以降ジャワ系や中国系工房で盛んに作られるようになったこうしたモチーフのバティックは、日本の明治期がそうであったように、ジャワの人々には西欧への憧れを感じさせ、西欧を遠く離れて植民地で暮らすヨーロッパ系の人々にはノスタルジーを感じさせる存在だったであろうことは、想像に難くない。

 ところで忘れてならないのは、もうひとつのカンパニー系のモチーフ。ジャワ戦争(1830)やロンボク戦争(1894)でオランダ領東インド政府軍がインドネシア現地抵抗勢力と戦っている場面を描いたバティックで、ヨーロッパ系工房がオランダ軍の勝利を記念して作ったもの(写真@)。BatikPerang

Java,Batik Perang Lombokと呼ばれている。

本来、バティックはインドネシアの人々のためのものであるはず。同胞が迫害を受けている図を描いたこのバティックを、現地の人はどのようにみたんだろうか。

 

ひろがる「カンパニー」

 「カイン・カンパニー」という呼称は、このロンボクタイプのバティック(BatikPerang

Lombok)を指してジャカルタで使われたのがはじまりとされる。1894年当時はカイン・カンパニーという概念があったわけだ。

 「カンパニー」とはオランダ東インド会社のこと。カイン・カンパニーは「オランダ東インド会社の(ための)布」という意味になる。しかし、カイン・カンパニーがはやったのは1890年代以降。東インド会社時代とはかなりの隔たりがある。おそらくインドネシアの人々にとって、東インド会社も、それを継承したオランダ領東インド政府やその軍隊も、支配者という意味では大した違いはなかったのだろう。

この、1894年当時のロンボクタイプのバティックをカイン・カンパニーの原点とすれば、その初期の意味は「オランダ領東インド政府軍の戦いの場面を描いた布」というかなり限定されたものであったと考えられる。

その後、インドネシアの発展に伴う様々な西欧的モチーフの採用とともにカンパニーの境界が広がり、初期の童話系バティックなども含めて、オランダの影響を受けたバティックを総称してカイン・カンパニーと呼ぶようになったのではないだろうか。

 ということで総括すると、カイン・カンパニーとは、「西洋趣味的なモチーフの模様により構成されたジャワ更紗」(※@)あるいは「オランダ系工房で製作された軍隊などを図案化した植民地色(あるいは西欧的色彩)の強いバティック」(※A)などと定義される。この定義からすれば、写真Jの踊る中国人やジャワの農民や漁民を描いたもの(写真E)はカンパニー系とはいえないし、壺柄(写真I)にも「?」がつく。

が、私とインドネシアで染織に携わっている友人との間では、カイン・カンパニーを、「モチーフを西欧のみならず中国や日本、そして地元インドネシアの具体的文物や事物、風景、出来事などに求めた更紗」くらいに広くとらえており、踊る中国人などもカンパニー系として扱っている。 

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ンドネシアにイカットを探しにいった私がバティック好きになったのは、宗教対立でスンバやフローレスに飛行機が飛ばず、しょうがないからバティック工房めぐりでもするかというわけでチレボンの工房を訪ねて以来のこと。

――蒸気船が繰り返し描かれ、マストには国旗がはためき、煙突からは煙がたなびいている。象がいて、馬にはニワトリに姿を変えた兵士がまたがり、鉄砲を担いだニワトリ兵士が隊列を組んで行進している(写真Hと同モチーフ)――。木綿生地に濃い青と、薄い青でモチーフが描かれたこのバティックとの出会いが、たびうさぎの出発点ともいえる。

れまで、バティックといえば黄土−茶系で染められた幾何学模様のモチーフをもつスピリチュアルではあってもジミな布、というイメージしかなかったが、工房の床に色とりどりのそして見たこともないモチーフの更紗が広げられるたびにうれしくなり、結局買物魂を発揮することになってしまった。いまでは、その工房にいくと、いろんな人がどこからともなくカンパニー系を持って集まるので、床一面がカラフルな更紗で埋まってしまうほどだ。

あ小難しい定義はさておいて、カンパニー系のバティックはワクワクする。たびうさぎでは結構品数を揃えてはいるつもりだが、これからもいいものをたくさん集められるかというと、なんとか努力をしますというしかない。

というのも、カンパニー系を得意とする職人が減少しており、かつ手間がかかるため、工房が手がけたがらないからだ。

興味をお持ちの方は見に来てください。

というわけで今回はカイン・カンパニーをめぐるお話でした。

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※参考文献

@『ジャワ更紗』(平凡社)1996吉本忍

A『ジャワ更紗』(小学館)1999伊藤ふさ美・小笠原小枝

B『BATIK BELANDA1840-1940』 H. C. Veldhuisen